「漸」の威力とそれに抗うこと。


 今朝の東京新聞社説が今年の漢字として「災」が選ばれたことを引いて、この漢字の代わりに「漸」なる漢字を掲げている。第2次安倍政権成立以降、特定秘密保護法に始まり、戦争法、集団的自衛権、イラク日報隠し事件、原発再稼働、原発避難者支援打ち切り、オスプレイ問題、森友事件、加計事件、過労死法、年金受給開始年齢引き上げ、障害年金打ち切り、消費税増税、辺野古基地移設、種子法、水道法、移民法、「いずも」空母化・・と、直接、間接問わず国民の生活と人権を根底から奪取する政策等のオン・パレードである。しかもそれらは正規の政治的手続きを踏むことなく独裁的に決定されてきた。確かに安倍政権の一つ一つの政策は漸進的に進められている。しかしいつの間か、その積み重ねが国を大きく破壊することになることは目に見えている。


 次々と新しい超高層ビルが建ち、新しいショッピング・モールが開業し、街中のイルミネーションが華やかさを競う日本は一見したところ豊かな国に見える。しかし、見掛けとは裏腹に一部の人間のみが富める社会構造への変質が悪政によって日々進んでいる状況は恐ろしいことだ。それに輪をかけるかのように、現政権への物申しを行う人々への非難の声は現政権が成立したばかりの頃と比べて遥かに大きく響くに至っている。想田和弘氏が言うように、この国では政権を擁護する声は政治的と見做されず、逆に政権を批判する声は政治的と見做され、非難の対象となる。何と非合理的で公平性に欠いていることだろうか。そして、こうした態度は反知性主義の恥ずべき表れでもある。モノが溢れかえり、「先進国」の見せ掛けを伴いながらも内実はファクトに基く政治的批判が理性的に受け止められない社会は異常である。このギャップについては以前にも書いたものであるが、3.11原発事故からもう8年近くも経ち、独裁政治が6年も続いているのにも関わらず、日本政治について批判する人そのものが少なすぎるのもまた、非常に気になるところである。もう、既に日本は民主主義国を目指すのには手遅れとなっているのだろうか。しかしこうしてブログを書き、現政権の政策をアート表現のうえで各論的に問題視している私は、希望を失ってはいない。今年の春には音楽表現によって社会にコミットするユニットである“Social Arts Project”を立ち上げ、護憲を訴える音楽・朗読ユニット“World Peace Constitution Orchestra”を結成したのもその表れである。今月、原爆の図 丸木美術館で行ったSocial Art Project旗揚げ公演(当ウェブサイト内のNEWS & INFO.とARCHIVESの「公演記録」を参照)はその一里塚である。そして来年3月にはW・H・オーデンの長編詩のタイトル、“The Age of Anxiety”を下敷きにしたピアノ三重奏曲「希望の時代」を再演する(Vn.廣瀬麻名、Vc.永富さおり、Pf.小森俊明)。この作品を初演した2014年3月よりさらに日本の社会と政治は劣化している。それでもまだ希望は捨てきれずにいるのである。

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