「科学技術立国=日本」における原発と新幹線。


 近代科学とそれに基づく技術を欧米から導入してまだ150年しか経たない日本において、それが大きく実を結び、自他ともに認める「工業国」となったのは戦後のことにすぎない。現代においては、「工業国」と自称する代わりに、「科学技術立国」、あるいは、伝統的技術をも包含したうえで「ものづくり立国」などと自称することが多いのは周知の通りである。そして、 「科学技術立国=日本」において、ルーツを欧米に持つ多くの技術が日本的に洗練され、高度化されているのは否定できない。しかし、それらの中で原子力の技術に関しては、日本的洗練も高度化もなされてこなかったうえに、事故時のリスクを回避する方法がほとんど考慮されずにきたという点でやや特殊だと思う。


 唐突ではあるが、私は昨年、「新幹線クロニクル」という弦楽アンサンブルの為の新作を作曲し、初演に立ち会った。この作品は、原発と新幹線について思いを馳せたことがきっかけとなって生まれたものである。以下、初演時のプログラム・ノートをここに抜粋してみたい。


新幹線クロニクル(委嘱初演)
 管政権のもとで日本の主力輸出産業の柱に位置付けられていた原発と新幹線には、戦後日本の科学技術史において、外面上のいくつかの共通性と内面上(主に技術管理上・政治上)の数多くの著しい対照が見られます。今年3月に起きた世界史上最大の原発事故を機に、原発と開発・発展の時期が重なる新幹線に思いを馳せてみました。作品は、新幹線の新規開業トピックに合わせて13の小部分に分節されます。
 世界初の超高速鉄道が開業してから今年で47年。奇しくも福島第一原発で水素爆発が起きたその日に青森から鹿児島までがつながった新幹線の鉄路を通して、被災地東北への思いをも届きますように。この度、初演の機会を下さった、つるみコンサート実行委員会とヴィルトゥオーゾ横浜の皆さまに深く感謝申し上げます。


 現在、福島第一原発事故の検証も行われないまま新興国への原発輸出の手筈が着々と進められているが、のちに脱原発路線を歩むことになる菅政権下で、原発と並んで新幹線が主力輸出産業の柱として位置づけられていたことは、さほど知られていない。3.11以降、原発の技術管理上の決定的欠陥については大きく知られるようになったが、これらと対照的な新幹線の技術管理上の特徴は何といっても、洗練された安全第一の思想である。その表れを地震との関連で拾い上げてみても、①阪神大震災で営業運転前の山陽新幹線の高架橋が崩壊→全国の新幹線の高架橋を補強→中越地震で上越新幹線の高架橋は崩壊せず/東日本大震災で東北新幹線の高架橋は崩壊せず②中越地震で上越新幹線が脱線(ただし、死傷者はゼロ)→全国の新幹線線路に脱線防止ガードを設置→東日本大震災で東北新幹線は脱線せず・・・といった、失敗に学ぶ安全対策が着実に施されている。シビアアクシデントの前には必ず小さなアクシデントや、シビアアクシデント寸前の大きなアクシデントを数多く経験するものである。福島第一原発事故の前にも、それら大小のアクシデントは日本中の原発で数えきれないくらい多く発生したが、ほとんどのケースにおいて対策は施されなかったばかりか、隠蔽や証拠隠しが繰り返されてきたのは周知の通りだ。こうした体質は、原発と新幹線を対置した時に、技術管理上の著しい対照として現前してくるのである。
 
 新幹線というのは実は、在来線電車の技術と戦前に開花したアメリカの電動車技術をもとに開発されたものであり、本質的に新しい技術では無い。しかし、その開発プロセスには煉瓦を積み上げるような丁寧さと緻密さがあり、営業開始後も技術管理が徹底しているところに、良い意味での日本らしさを感じる。それに対置されるのが、新幹線同様に外来技術をルーツに持ちながら、利権優先でリスク軽視の態度を内包する、原発開発の歴史である。高度経済成長期以降の「科学技術立国=日本」には、矜持溢れる技術者マインドと拝金主義が、それぞれ先鋭化して存在しているのだ。

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