奇しくも、本ブログの開設直後に3.11原発震災が起きてしまい、原発をめぐる諸問題について書き始めることとなった。芸術関連にテーマを定めて書いていくつもりであった筆者にとって、この路線変更はもちろん「想定外」であった。しかし筆者にとっては、更新可能なみずからのメディアを持ちながら、このまさに起こりたての危急のテーマについて沈黙することは、表現者(アーティスト)以前に一人の人間、そして日本人としてあり得ないことだった。原発事故についての記憶が日本社会の中で徐々に薄れていくなか、第2次安倍内閣が成立し、原発は積極的に推進されるばかりか、平和安全法制(戦争法)の可決と成立、改憲の準備、秘密保護法の可決と成立等、日本のサステイナビリティそのものを根幹から揺るがす動きがこれでもかと相次いだ。原発推進と、戦争の遂行へとつながる上記の3つの動きは、2010年代の日本の2大危機であると言って良い。この危機はこの1年間で一層増している。そのことを代表する出来事は、改憲議席の3分の2超え、組織犯罪処罰法改正案(共謀罪の創設を含む)の提出検討であろう。後者はもちろん、市民の言論の自由を制限することで戦争の遂行を容易ならしめることへの一歩である。そして、原発と戦争に関するこれらの動きに加えて、経済と防衛に関する対米従属型の政策等と純粋な利権追求型の政策等が、より深度化していったのがこの一年であった。前者に関する出来事としては、環太平洋連携協定(TPP)承認案およびその関連法案の成立、一連のいわゆる辺野古移設強行に関する出来事が代表的であろう。普天間基地の辺野古移設問題に関連する重要かつ非難されるべき出来事としては、日本国憲法より上位にある日米地位協定の制約による、オスプレイ墜落事故後の実地検分への不関与と運行再開の容認、米軍北部訓練場返還式典(実質的に高江ヘリパッドの完成を祝う式典)の開催が極めて象徴的でもあった。これらの出来事は、いずれも地方自治と民意はもちろんのこと、日本国の独立性さえも蔑ろにするものである。そして、後者に関する出来事としては、IR推進法(カジノ法、ギャンブル法)の可決と成立が代表的なものとして挙げられる。
自民党のいわば保守本流とは異なる立ち位置にいる安倍晋三氏が2度目の内閣総理大臣の座に就いてから、日本はこれだけ矢継ぎ早に国民の幸福を奪取する政治が推進されてしまったのである。しかも、上に挙げた各法律ないし法案はいずれも、民主主義に反する強行採決という手順を経ていることも極めて特筆的である。それにも関わらず、現政権の支持率は少しとはいえ上昇し、現在過半数となっている。現政権の支持率が首相の在任期間が経過するのに伴って徐々に落ちてくるのではなく、常に半分前後で推移してきたことは驚くべきことである。その理由と支持する層の属性や特徴についてはこれまでにさまざまに語られてきたが、今回のブログ更新にあたってはとりあえず措いておく。国民の政治的スタンスはどんなものであろうと自由であるし、政治的言論の内容も自由である。もちろん、現政権を支持することも自由である。しかし、日本のサステイナビリティそのものを根幹から揺るがす政治、そして、民主主義をあざ笑うかのごとき利権政治を強権的に行う政権を支持することは、国民にとってもはや理が無いばかりか、明確に間違いであると筆者は考えている。その、間違いの犯し方は人によってさまざまであろう。それらには、政治への無関心、メディア・リテラシーの巧拙、政治的イデオロギーとパーソナリティの独特な心理的関係性などが関与しているのであろうが、先述の通り、今回はこのことには立ち入らない。2016年を締めくくるにあたって、来年こそは理性を持って現政権を観察することの出来る国民が一人でも増えて欲しいと切望する。そうした国民による投票行動が、「戦前」の進行阻止を可能にする。