脱原発をめぐるドイツと日本の対照性

 昨日、ドイツで最後まで稼働していた3基の原発が停止し、遂に脱原発を達成した。12年前に定められた目標が実現したこととなる。対する日本は、原発即時停止を目標に掲げ得なかった民主党が自民党に政権交代するやじわじわと脱原発そのものが遠のき、岸田政権に至ってからは原発新増設および最長運転期間の60年超延長まで決定するなど、原発推進に余念が無い状態にある。坂本龍一は亡くなる少し前に、何故危険と分かっている原発をやめないのかと疑問を東京新聞に呈していた。勿論、その理由など分かっていてのことに違いなく、敢えて明言しなかっただけに違いない。「教授」に限らず、日本中のほとんどのひとびとがその「理由」を分かっているはずである。ただし、12年前まではそれを知るひとは少なく、筆者は3.11原発震災の直後に「理由」を当ブログにわざわざ記したほどであった。日本の自民党が偏執狂的に固執する政策には必ずこの「理由」が存在する。近年の例で言えば、東京オリンピックや関西万博の強行、カジノ誘致、防衛費増額等はその代表的な政策である。その真逆にある近年の現象としては、入管法改悪に象徴される非白人としての外国人への露骨な差別と暴力への非対応、マイノリティ差別への非対応、統一教会問題解決への非対応(事実上の保護)等が挙げられる。今挙げたこれら6つの事項は、原発推進と同様に民主主義の軽視あるいは無視という、深刻な事態が基底に潜んでもいることが深刻な問題である。原発政策は世界の主要国が60年代以降に推進して来た歴史があるが、ドイツが3.11以後に世界で初めて脱原発を達成し得たのは、チェルノブイル原発事故で露見した同国の地理的条件が持つ根本的問題に加えて、世界で最も民主主義が発達しているという事情があるからだ。ドイツ以外の民主主義先進国の中には、フランスなど積極的に原発推進政策を掲げる国もあるにはあるが、人類史上最大の産業事故としての福島原発事故を起こした当事国が未だに原発に固執し推進しているというのは、やはり世界最悪の異常さの表れであり、その「理由」が自民党の党風を見事に表している。この党風は省庁の既得権益の死守と結び付いて強化されてもいることは、先日露見した原発60年超運転を可能にする法制度の見直しをめぐる、資源エネルギー庁と経済産業省の癒着を見ればより再認識されることでもある。さらに言えば、この党風は原発以外の分野においても政財界をはじめ、この国の多くの業界の隅々にまで深く浸透している。これを恥と言わずして何であろうか。

 先日、令和国民会議が発表した「日本社会と民主主義の持続可能性を考える超党派会議」の発足は、上述した民主主義と「理由」の問題のうち、前者をこの国に実現することを目指すには程遠いものであることは、参加政党と非参加政党の顔ぶれを見れば明らかである。この国で最も民主主義について熟考し、ことあるごとに提言しているのは、自民党とその補完政党から最も遠い立ち位置にある政党群である。民主主義を実現していることは先進国であることの暗黙の条件であり、日本は事実上先進国であるとは言えない。先に言及した外国人差別、マイノリティ差別、カルト宗教の保護に加え、あらゆる生活面に見られる格差の放置、日本学術会議への介入に代表される学術界への締め付け、教育と学術・芸術文化への極めて少ない予算配分等々、挙げて行けばきりが無いほど大量の民主主義を脅かす政策的無為無策を脱却するには、国民が現状の投票行動を変える以外に方法は無い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です