国葬反対イヴェントへの参加

 先日ブログでもお知らせした「国葬反対お好み演芸会 〜喪に服さぬ夜を〜」に参加し、無事公演を終えることが出来た。当日は午後からリハーサルがあり、国葬開催についてのニュースを見たり、国葬反対デモが行われる現場に居合わせたりすることは出来なかったが、演奏という営為によって民意無視の暴挙に対して物申しを充分に遂行することが出来て、充足感を覚えた一日であった。もとより芸術家や芸能者はそれぞれが専門とする手段によって表現を通して、音楽外的な意思の訴求が可能である。さらに、歌詞を伴う楽曲であればその効果はより鮮明になることは言うまでもないし、そうでなくても楽曲の構造や作曲意図を通して具体的に音楽外的な意思を訴求することも可能である。今回私は、4曲の楽曲を設定することにより、後者の方法を通して国葬開催そのものおよび被国葬者たる安倍晋三元首相に対する意思表明を行った。以下に当日のプログラム・ノートをそのまま掲げておきたい。

小森俊明演奏曲目

1. 2012年の思想(小森俊明作曲)〜2012年秋に東松山の原爆の図 丸木美術館で行われた、「今日の反戦反核展2012」の為に作曲。演奏は作曲家自身による。福島原発事故後も脱原発が進まない日本の政治と社会に対するやるせなさ、憂いといった感情が発端となっている。

2. 英雄の子守唄(クロード・アシル・ドビュッシー作曲)〜第1次世界大戦の際に、独軍に対して英雄的な抵抗を行ったベルギー国王アルベール1世と兵士たちを称えて作られた楽曲。中間部でベルギー国歌『ラ・ブラバンソンヌ』が高らかに引用される。この楽曲を取り上げることの含意と多様たり得る解釈について思い巡らせていただければ、幸いである。ところで、安倍晋三元首相の国葬では『君が代』は演奏される(された)のであろうか?

3. 即興演奏(ムソルグスキー作曲による『展覧会の絵』の「第3プロムナード」のモティーフを契機とする)〜そもそも、安倍元首相は絵画になんて関心を持っていなかったであろう。無論、芸術全般に対しても。桁外れの関心対象は金と権力のみ。対照的に、森友事件で自殺に追いやられた赤木俊夫さんは、篆刻など美術鑑賞を趣味としておられたとのことである。それはともかくとして、今回ムソルグスキーの代表作を選んだことには、この楽曲のプロムナード主題(楽式的な意味ではなく、表現上の)が持つ形而上学的あるいは美学的な理由とは異なる形而下学的あるいは即物的な理由がある。

4. 日本の安倍晋三元首相に寄せる葬送歌(小森俊明作曲)〜今回の催しの為に作った楽曲。『展覧会の絵』の「第3プロムナード」のモティーフと関係がある。

 以上のプログラム・ノートよりもずっと詳細について語ることは可能であるが、特殊な事情が無ければプログラム・ノートで長文をものすることを好まないので、控えた次第である。

 なお、今回の国葬反対イヴェントは、白拍子、能、声明、ヴォーカル、作曲等々、実に幅広い表現手段をお持ちであると同時に、政治と社会に対して果敢に物申しをされている類まれな芸術家/芸能者、桜井真樹子さんが企画されたものであり、彼女の幅広い人脈と見識により、長唄、能、モデュラー・シンセサイザー、西洋古楽歌唱、西洋現代音楽と、実にさまざまな表現手段でもって国際的に活躍する芸術家/芸能者が集まり、それぞれに特色のある演目を披露した。筆者の演奏は措いておくとして、出演者のかたがたはみな素晴らしい演奏をされていた。政治や社会について日頃よく考え、真剣に発言している表園者は実力と言うべき内容を持っている、と評された桜井さんの言は正しいと感じたものである。聴きに集まって下さった多くのかたがたも大変喜んで下さったことは何よりであり、大変感謝している。

 ところで反対する多くの国民の声を無視して国葬開催を強行した岸田首相に対する追及は、今後も続けられるべきである。そして、安倍元首相が残したあまりにも多くの負の遺産(それらの中には当然、統一教会との蜜月も含まれる)に対する追及と、とりわけ森友事件、加計事件、桜を見る会事件についての調査が全力で行われるべきであることは言うまでもない。我々は、銃弾に倒れた安倍元首相に対するセンティメンタリズムを恥ずかしげもなく披瀝して事足れりとし、国葬反対者を罵倒する反知性主義の群れとは交わり得ない。「理という良心」の行使者は、政治家でなくとも今後も発言を続けて行かなくてはならない。

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