計画停電という罠

 東電は、今夏の電力ピーク時に計画停電を行う。

 以前にも書いたが、現在稼働中の全原発を運転停止しても電力は賄える。それどころか、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は、真夏のピーク時でさえ充分に賄えると言われている(上関原発建設に反対する山口県柳井市の住民を前にそう発言された時の-これはYouTube映像で見られる。かなり人口に膾炙しているはずだ-清々しい表情は、実に印象的だった)。にも関わらず、日本人の倹約精神や協調精神を利用して計画停電に踏み切ろうとするのは、原発が絶対に必要だという強烈なメッセージを刷り込む為であるのは明白だ。そして、この戦略によって節電が「成功」すれば、原発の「ありがたみ」を実体験として多くの国民が理解するようになる、と考えているわけだ。東電社長が早くも、運転停止中の柏崎刈羽原発3号基の稼働再開に意欲を示していることに象徴されるように、日に日に高まる反原発の波をあの手この手を使って早期に抑え込み、原発推進の筋道を確保しようとしているのは明らかである。計画停電は、原発反対派の国民を有無を言わさず巻き込み、生活そのものを規制しようとする施策なのだ。

 ここまで書くと、私は節電というものに全く関心がないように誤解されるかもしれないが、そうではない。現在既にあちこちで行われているような節電が、本来の姿なのであり、3.11以前があまりにも電力を浪費しすぎていたのだ。しかし、計画停電を強制された結果、節電モードに入ることと、全原発を停止した状態で節電モードに入ることとでは、日本人の倫理観に同様の結果をもたらすにも関わらず、その意味は全く異なるのである。これは、とても重要なことだ。

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