支持率70%と言われる安倍首相の進める景気浮揚策がメディアで華々しく報じられる一方で、憲法改正が本当のものになりかねない状況になってきた。特に、第9条、12条、13条、96条の条文改正案は看過出来ない。これら、実態は改悪と呼ぶべき「改正」は、国民総背番号制の実施と合わせて、日本の再軍備化を準備するものといえる。かつての日本やナチス・ドイツに見られるように、軍国主義への道はいつの間にか軌道に乗ってしまうものだ。特に現在のように、経済の停滞が長引いているうえに、政策課題が山積し過ぎて、何処から解決の糸口を求めたら良いのか分からないほど混迷し、錯綜した社会状況では、気付いたら国は再軍備化の道を着々と歩んでいた、などということになりかねない。
そもそも、日本は元来、好戦的な国家ではなかったと思う。変わっていったのは明治以降であるといってよい。西欧諸国による帝国主義的ヘゲモニーのなかでこの国が模倣的に選び取った帝国主義への道は、68年前に失敗とともにピリオドを打つ。逆に戦後は、アメリカによる、世界史的に類例をみない特殊な政治的・防衛的庇護=支配のもと、平和主義を貫くことになる。そのことを前提とした経済発展と経済大国化は、かつての軍事大国としての日本の相貌を変質させると同時に、その成功の大きさからくる自信の獲得(「ジャパン・アズ・ナンバーワン」)が、55年体制下の保守主義政治家が潜在的に持っていたであろう、「去勢」のコンプレックスを覆い隠してくれたといえるだろう。しかし、失われた20年を経たうえ、人口減の時代に突入した現在では、かつてのような経済成長は望むべくもない。そこへ、自民党政権(自公政権と称するには、自民党を牽制し得る公明党の存在感があまりにも薄過ぎる)、そして、「古き日本」へのノスタルジーを本源的に体質の中に抱え込んでいる安倍首相の返り咲きである。まだ政権奪取からまだ半年も経ていないのに矢継ぎ早に示され、着々と進められそうな再軍備化への道は、首相が景気浮揚策を唱えているにしても経済成長が見込めないなかでの、軍事国家としての強大化へのヴィジョンがあってこそであろうと考える。そのヴィジョンの実現は、間違った保守政治を信奉する現代の保守政治家ー例えば、靖国神社に集団参拝する国会議員のようなーがトラウマとして持つ、「去勢」の経験を払拭してくれるのだろう。日本は近代以降、軍事大国への道を極めた後は経済大国を実現し、その後は再び軍事大国に逆戻りするという歴史を辿ろうとしているように見える。
こうした逆戻りを何とか阻止しなければならない。