「忖度」や口裏合わせが落着するところは、不都合な事柄の隠蔽である。一昨年秋のブログでも書いたが、この国の民族病の一つに「隠蔽」文化がある。この6年以上にわたる安倍政権下では、民主主義政治が最も避けるべき隠蔽があらゆる場面で行われてきた。これもブログで何度も書き、発言もしてきているが、日本はもともと先進国では無い。戦後、高度経済成長を経て経済先進国にはなった頃までは、一応発展はしていたのでまだ良かったと言える。これが、本来の意味での発展途上国のプロセスである。しかし、バブル経済崩壊後に連立政権が誕生して日本の舵取りが根本的に変わるかと思いきや、そうはならず、すぐに自民党政権が復古してしまった。しかも、21世紀に入ってからもこの与党は僅かの期間に下野したのみで、安倍政権発足後は民主主義を阻むありとあらゆる政策が矢継ぎ早に行われて来たのであった(このことには前回のブログで触れている)。その根底にあった「隠蔽」文化は、特に昨年のサクラゲート事件以降、より顕著となった安倍首相自身による数々の虚偽答弁によって、一層強固にされてしまった。虚偽であること、隠蔽を行っていることは見え透いているのにも関わらず、常に繰り返され、国会答弁やニュースを見たり読んだりしている国民の感覚を麻痺させてしまっているのが実情だろう。恐ろしいのは、慣れや麻痺が人間の理性を鈍化させ、思考力を奪ってしまうということである。かつてのナチス・ドイツや日本軍国主義を見れば、それは明らかである。
安倍政権を野放しにして来た国民とメディアの責任は甚だ大きい。並大抵のことでは無いが、これから日本を根本から建て直さなければならない。