3.11被災地で原発を再稼働するということ

 原発について書くのは久し振りのことである。今般、東日本大震災の時に電源喪失した女川原発の再稼働が決定した。世界一原発のリスク・マネジメントとリスク・コミュニケーションが劣った国。世界一「責任者が責任を取らずに済む」国。世界一災害の多い国。そして世界も羨むであろう、自然エネルギーの潜在力に恵まれた国。しかもその国土における、人類史上最大の産業事故としての原発事故を起こした地域で再稼働するのには、理を超えた特別な事情が必要である。差し当たり客観的事実と私が指摘出来ることは、再稼働決定を拙速に合意した村井嘉浩宮城県知事という人物が防衛大卒で自民党議員で新自由主義者であり、3.11原発事故の際に放射能測定を半年にわたり放置した人物であるということだろうか。また、東京新聞によれば、再稼働賛成を支持した女川町議会議員と地元の漁師・商売人が多かったということだ。

 過酷事故が起こる可能性を考慮するよりもカネが第一。これは日本人が持つ哀しい民族病である。いや、そればかりでなく、パリ症候群などと同じように、この病は明確に一つの精神疾患なのかも知れないと最近真剣に考え始めてもいるくらいである。もういい加減に「金の亡者」と「臭いものに蓋」を排してファクトを見ることは出来ないのだろうか。原子力工学者の小出裕章氏は東北大原子力工学科に入学後に、どうして原発を都会の仙台ではなく僻地の女川に建設するのか教授に尋ねたところ、明確な答えが返って来なかったと述べている。それで自分で調べたところ、原発が放射能を拡散することの危険性を知り、原子力工学者としての知見を原発反対に生かすことを人生の課題として誓ったとのことである。原発反対を「センティメン」タリズムと言い募った石原慎太郎元都知事とは真逆の姿勢がここにある。

 原発に反対することはサイエンスであるとして、擁護し敷衍すること。一方で、「特別な事情」に立脚して原発に賛成することはセンティメンタリズムなのだと指弾すること。こうした勇気と知性を持ち合わせよう。勤務先への「配慮」が必要だと感じるなら?もし原発賛成を強要するような会社や学校であれば転職しては如何だろう。原発観は会社によってさまざまだろうが、私の知る限り、原発賛成を強要する学校や大学は存在しない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です