敗戦80年に寄せて

 先日、東京都写真美術館にて「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を観た。報道写真家や広島市民が原爆投下直後の広島にて、罪悪感と葛藤しながら被爆の実相を記録していたことは、最近になって一般的にも知られるようになりつつある。本展ではそれらの写真が一堂に会して紹介されていたのである。正視に耐えぬカットも含む貴重な記録はアメリカ占領軍によって廃棄を命じられたが、人類史上最大にして最悪の核惨禍を絶対に伝えんとする、撮影者の強靭な歴史的使命感と正義感により、少なからぬ数の動かぬ証言=記録写真が隠匿され残されたのであった。展示写真を観てみて、想像以上の生々しさと一瞬を捉えた記録のみが持ち得る力とを、痛切に感じ取ったことであった。
 
 さて、以上の記録に込められた地上からの視線と感情がある一方で、天空からのそれらも存在する。それを占有し得たのがアメリカ軍であることは言うまでもない。その延長に存在した歴史の一コマとして、敗戦後の占領軍が生き残った被曝者をモノとばかりに原爆被害の実相調査に利用し、治療することなく放置したことは強調されるべきである。そしてその後も原爆投下への謝罪をしなかったどころか、投下の必然性さえ強調されて来た(アメリカの一般国民においては、原爆投下を間違っていたとするひとの方が漸く上回るようにはなっている)。日本政府もまた、原爆を投下したアメリカ政府に対して抗議をほとんど行っておらず、事実上、原爆投下が人道に対する罪であることを日米両政府が認めていない形となっている。大きな問題は、アメリカ政府はともかくも被害国である日本の政府が認めていないという点にある。アメリカ政府に対するこの寛容さと卑屈さは、敗戦後レジームの不変性を最も象徴付けている事柄の一つであると言って良いだろう。日米安保条約、一度も改訂されたことの無い日米地位協定、そしてそれらを根拠とする国内米軍基地の過剰な存在とその内外で頻発する諸犯罪の放置、世界に例を見ない横田空域と赤坂プレスセンターの存在等々、日本がアメリカの支配下にあることを示す事象は数多存在する。

 ところで今年は中国政府が対日勝利80年を期して、日本軍による中国一般市民にへの執拗な残虐行為や殺戮を描いた抗日映画が、中国国内各地で上映されている。そのプロパガンダ性と描写の誇張が日本では批判的に語られているが、それよりも中国に対する謝罪の気持ちを新たにすべきであろう。かつて故・安倍晋三元首相は、近隣諸国への謝罪をこれからの世代にさせてはならないと終戦談話で述べたが、こんな敗戦後レジームの理解で良いのであろうか?原爆投下について考える時には常に、日本による東・東南アジア、太平洋諸島のひとびとに対する加害を思い起こし、複雑な気分を覚える。それは、経済・技術協力を少しだけしさえすれば免罪となると錯覚している尊大な加害者と、たしかに開戦当事者とは言え、人類史上最大・最悪の核被害を受けたのににもかかわらず、その加害者に永続的な傅き外交を続ける被害者という、際立った二重性/二極性のみに因るのではない。非白人(この用語は政治的公正を欠くのであるが、便宜的に用いる)に対する加害者、白人としての米国人から受けた被害者という図式の捻じれと、その力関係とそれに連動する日本人の精神構造が、中国の経済・技術大国化に伴う日本の劣位シフトを契機とする自信喪失を除けば、そのまま温存されていることにも因るのである。この構造は、あまつさえ「失われた30年」と自国中心主義の勃興により、一部国民の間で強化されているのは、周知の通りである。日本と同じく敗戦国であるドイツとは全く異なるこのレジームと精神構造の清算は、日本人が真に国際的な平和国家となる為に欠かさざる作業であると考えている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です