8月8日の「茨木のり子」公演における出演辞退について(1)

 8月8日(日)に開催される公演「どこかに美しい人と人との力はないか 茨木のり子没後15年の集い」(於:保谷こもれびホール 小ホール、主催:茨木のり子の家を残したい会、8.8茨木のり子没後15年の集い実行委員会)への出演を辞退させていただいたことについては、NEWS & INFO.にて昨日告知したところである。その結論に至るまでの特殊な事情について、ここに記しておきたいと思う。

 平易な日本語が生活と芸術を切り結ぶその清新な詩が多くの読者を獲得した「現代詩の長女」、茨木のり子さんの仕事からは、かねてより鼓舞されるところがあった。わけても作品に非常にしばしば垣間見える理知性と社会批評的性格、反戦思想には強く共感するところがあった。したがって、2019年および20年に茨木のり子さんの詩を題材にした催しに参加させていただく機会を得られたことは幸甚であった(2019年の会の主催は「江戸川茨木のり子の会」、20年の会の主催は「一般社団法人 洸楓座」)。時はまさに、安倍政権による民主主義政治破壊が日に日に強まっていた頃である。これら2回の催しに続いて今回、「茨木のり子の家を残したい会」の主宰者のかたからお声掛けをいただき、8月8日に開催されるこの稀有な詩人の記念年にリンクした催しに出演することが一年近く前に決定していた。西東京市内に現存する茨木のり子さんの旧宅の保存運動を作品の啓蒙運動と併せて行っておられる会とのことで、出演を楽しみにし、打ち合わせと準備を行っていた。

 ところが周知の通り、菅政権が強行中の東京五輪と歩調を合わせて7月終わりから急速に拡大したデルタ株感染が、新型コロナウィルス・パンデミックの国内における様相を新たなリスク・フェーズに引き込んでしまった。ちょうど私が8月8日の会の運営委員会に延期の提言をしようとしていた矢先に、舞台上での密集状態による感染リスクを懸念する朗読劇発表グループ(茨木のり子の家を残したい会会員による)が運営委員会に延期申し入れを行ったとの連絡が同会からあった。しかしながら、ホールに空きがあって既に押さえてある予備日の10月2日に同グループの発表をシフトするほかは、プログラムを変えないという。実はその間、出演者全員が10月2日へのシフトが可能であればそのようにするが、一人でも都合が悪ければ予定通り8月8日の開催を変更しないという話が、実行委員会内部でのみ進められていたのである。私は、以下の極めて単純な2点からこの決定に異議申し立てを行った。それは、

 ①ここ数日のデルタ株ウィルス蔓延により感染爆発が予期されていること。②朗読劇を除き、出演者全員のコンセンサスなく8月8日の予定通りの開催が決定されたこと。

 である。

 既に述べた通り、最終的には出演辞退を申し入れさせていただいたのだが、特に共演予定で準備をともに進めさせていただいていた声楽家の前中榮子さんと朗読家で元フジテレビアナウンサーの山川建夫さんのお二人にはお詫びのしようもなく、自分自身にとっても断腸の思いであったのだが、この結論は不可避であった。というのも、10月2日以降、例えば12月初旬などに会を延期していただけるのであれば、医師や感染症学者のかたがたの主張に沿って上記①の問題はおそらく低減されるものと考えられるし、同じく②については出演者全員で空きの日を擦り合わせれば済むことだからである。しかしながら、実行委員長が延期の選択肢を持ち合わせておられず、あくまで予定通りの開催を考えておられたのが実情であった。

 一般論として言えば、本番直前の所謂「ドタキャン」というのは、身体の著しい不調を除けば原則的に絶対あってはならないことである。今回は直前というほどでは無いのかも知れないとしても、それに準ずるものであろう。しかしながら、上記①の問題は医師たちや感染症学者たちから強く注意が促されており、今回の会が所謂「不要不急」のうちの「不要」にはとてもとても該当しないとしても「不急」であることは明らかである。新型コロナウィルス“COVID19”という未曽有の生物学的振る舞いを特徴とするウィルスの感染急拡大と、それがもたらす、従来型インフルエンザウィルスとは一線を画す重篤症状の惹起、そしてそれら2つのアスペクトを出来うる限り抑制し、低減する為の実効的対策の必要性を考えれば、通常のフェーズにおける公演の開催/延期ないし中止の判断基準とは異なる新しい判断基準が求められるであろう。実際にこれまで、私を含む全てのパフォーミング・アーティストが、公演の延期や中止を経験している。これらの経験は現在よりも遥かに感染者数、それに伴う重症者数や死者数が少なかった時期の出来事である。新しいリスク・フェーズにシフトした今、医師たちや感染症学者たちは都道府県境を跨ぐなという強い科学的メッセージを国民に送っている。そんな中で公演延期の選択肢を完全に封じてしまうことは、周囲の全てのひとに感染させてはいけないという努力がより一層求められている目下の状況、そして医療逼迫が既に生じ、呼吸困難の「中等症患者」が自宅に放置されている目下の状況において、人倫にもとる身勝手な行為であると言ったら大袈裟であろうか。

(2)へと続く

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