東日本大震災が発生した3月11日の14時46分には毎年、地震と津波、原発により亡くなった人々と動物たちに黙祷を捧げている。今日は3.11から15年経つ。15年前には、2020〜25年頃には日本は完全な原発ゼロを達成しているべきであると考えていたし、当時の民主党政権は2030年代には遅くとも原発ゼロを達成するとしていた。ところが2014年に自民党安倍政権が原発政策を転換して原発ゼロは遠のいてしまい、菅政権を経て岸田政権は積極的な原発活用を明記した。安倍政権よりも保守色の強い高市政権下では、福島第一原発事故を起こした当事者である東電の柏崎刈羽原発の再稼働にすらお墨付きが与えられ、運転開始されてしまった。脱原発どころか原発推進にのめり込むこの国、もっと言えば自民党政権の異常さについては、このブログでも繰り返し指摘して来た。東京新聞によれば2026年3月11日現在、原発避難者は未だ4万人以上におよぶという。防衛費増強と長距離ミサイル配備に躍起となっている高市政権は、故郷を失ったひとびとをどう思っているのだろうか?そして、これらの危険な賭けが将来、この国で原発の危険性を更に増すこととなることを、どう考えているのだろうか?
原発推進に勤しむ権力者とその取り巻き、要するに原子力ムラ、原子力マフィアなどと呼ばれる集団の考えていることは単純で、金が全てである。多くの国民の大きな犠牲と不幸のうえに自身の度外れた財産と幸福を築くことに、何のためらいも後ろめたさも覚えない人種である。筆者が今書き連ねている原子力ムラの異常性など極めて当たり前な事柄であり、わざわざ記す価値すら無いと言えるかも知れない。しかし、こうして文章として可視化しておくことそのものは、大変重要であると確信している。原発反対デモを愚弄するひとびとが存在するが(筆者のすぐそばにも存在したが、そのことについては後日書きたい)、それでも彼ら/彼女らが諦めないのには、当たり前のことを可視化することの重要性を痛感しているからに違いない。
筆者は現在この種の運動には参加していないのだが、代わりに原発反対を訴える芸術作品を発表している。これも勿論、可視化の一つの方法である。
いつまでも脱原発を訴えなければならないのである。