原発の建設が推進されている最大の理由は、昨日書いたように、電力会社と政府に巨大利権のうまみがあるからである。それに加え、もう耳にタコができるほど、「原発はCO2を排出しないクリーンで安全なエネルギーである」とか、「国内電力は原子力に大きく依存しており、今後も必要であることには変わりない」などどわれわれは聞かされている。これらのうち、1つめを保障する大義名分はもうとっくに崩れ去っている。安全などではないことは、起こり得る被害地震の規模の最大値を正確に見積もることが科学的に不可能である以上(前回、電力会社や政府の逃げ口上でである「想定外」の許されぬことについて触れておいた)、当然のことであるし、今回の福島原発震災をもって、そのことが全国民の身に沁みたことであろう。
次に、2つめの「CO2を排出しない」という錦の御旗について。これは、IPCCによるCO2温暖化原因説がデータの捏造に基づくものであることが、2009年に世界的に暴露されたことにより(「クライメートゲート事件」)、完全に意味をなさなくなっている。この事件についての報道はほとんど日本ではなされなかったし、あれから1年半近く経つ現在でジャーナリズムが取り上げることはまずない状態である。それでは原発は以上の点、そして、放射能のリスクと常に隣り合わせであるという周知の事実を除けばクリーンなエネルギーなのかといえば、排水熱が海水温を著しく上昇させてしまう点でも、全然クリーンどころではないのである。次に電力シェアについてだが、国内の全原発を停止しても、火力を含む既存の電力システムで実は充分供給可能なのである(これについて俄かに信じられないというかたは、本などで調べられたい)。
東電が、今回の福島第一原発の損傷と放射線漏れに際してすぐに海水を投じて冷却を行わなかったことから、廃炉にすることを惜しんでいるのが見てとれたが、現段階では廃炉が免れない状態だ。また、現在建設中ないし計画中の原発の見直しも当然避けられないし、実際、計画が中止となった事例も報道されている(浜岡原発6号機など)。しかし、現在稼働中の原発も全廃すべきである。それでも国内電力は充分賄えるのである。